特許は、アイデアを守るための権利です。特許をとればそのアイデアを独占することができます。特許で守られるアイデアの範囲を決めるのが特許の書面の中に書かれている「請求項」という部分です。
技術開発や特許の仕事をしていると、特許の文章を読まないといけないこともでてきます。
でもこれがかなり読みにくい。とっつきにくい。わざと読みにくく書いてあるんちゃうか、と思われるくらいに読みにくい。読みにくい原因の1つは、ふつうの日本語にはない「前記」(ぜんき)とか「該」(がい)という言葉があるからでしょう。
この「前記」をうまく処理できるようになれば、請求項を上手に読むことができるようになります。
私は特許事務所でクライアントの特許の権利化をお手伝いする仕事をしていて、日々、特許の書面を作ったり読んだりしています。その経験を踏まえて簡単に解説します。
「前記」の意味や使い方を知って、特許の仕事に役立てましょう。
請求項(クレーム)は特許の範囲を規定する大事な部分/前記は請求項で使う
「前記」という言葉は、特許の書面の中でも特に大事なものである「請求項」という部分で使われます(*1)。
請求項は、特許の範囲を決める大事な部分です。土地に例えると、登記の書面などで、どこからどこまでが自分の土地かを示したりしますが、それと同じような役割といえます。
審査のときには、請求項に書かれた内容で審査されます。特許権が成立したら、請求項に書かれた内容が、自分の権利範囲、つまり、自分が独占できる技術の範囲ということになります。
請求項は、特許の顔であり、心臓部である、いちばん大事な部分です。
請求項に使う言葉1つ1つで、権利の範囲(土地の範囲みたいなもの)が広くなったり狭くなったりします。
書き手は、範囲がなるべく広くなるように気を付けながら言葉を選んで請求項を書きます。読み手は、請求項に書かれている言葉の1つ1つを正確に読み取る必要があります。
*1:請求項は、特許の書面のうち、「特許請求の範囲」という書面の中にあります。請求項は、「クレーム」ともいいます。
実際の請求項(クレーム)の例
実際の特許の請求項は、例えばこんな感じになっています。
情報を取得する情報取得部を備え、該情報取得部による情報の取得を車室内の乗員に報知する報知装置であって、
車両の位置情報を取得する位置情報取得部と、
車内灯の複数の発光態様を記憶する記憶部と、
前記情報取得部が情報を取得した場合、前記位置情報取得部が取得した位置情報及び前記記憶部が記憶する情報に基づいて、前記車内灯の発光態様を特定する特定部と、
該特定部が特定した発光態様で前記車内灯が発光するように該車内灯の発光制御を行う制御部と
を備える報知装置。
(「前記」と「該」の強調はこちらでしました。)
基本的に漢字がたくさんで読みにくい。そして、「前記」と「該」という見慣れない言葉が名詞の前についている。この例では使われていませんが、「当該」という言葉も使われます。
「前記」の意味と使い方
「前記」の意味は、「前述の~」、「前に記した~」という意味です。難しそうに見えることもあるかもしれませんが、その意味しかありません。
このような意味なので、その話題の中で2回目以降に登場する言葉に付けられます。はじめて話題になる言葉の前にはつきません。
英語の"The"とだいたい同じと考えてOKです。実際に、英訳するときには"The"に翻訳されます(*2)。
*2:「前記」の英訳として"said"が使われることもあります。
「前記」の言い換え→「その」「上記」「前述の」など
「前記」の言葉は、一般の文章ではあまり見ませんが、上記のとおりの意味なので、「その」、「この」、「上記」、「前述の」というような、前に出てきた言葉を指す言葉に言い換えられます。
日本語の場合、文脈によっては、言葉の前に何もつけなくても、「前述の~」という意味で読まれることもあります。その場合には、「前記」がなくても意味がかわらない、ということになります。
なぜ特許の請求項で「前記」を使うのか
そんな、普段の文章では使われない「前記」を、なぜ特許の請求項で使うのかという疑問もあると思います。
その答えの一つは、特許の請求項という、特許の権利範囲を定める重要な部分であるので、厳密に言葉を定義する必要があるからです。
特許権の侵害となれば、数百万円から数億円という金額が動くこともあります。「前記」のありなしで、そのような金額が動くかどうかが左右されてしまうとも言えます。
そういう意味で、「前記」はとても重要な言葉です。
「前記」があるのとないのとでどう違うか
次に、「前記」があるのとないのとでどれくらい違うか、を説明します。
上記のとおり、「前記」は、前に出てきた用語をさす働きがあるので、「前記」がつくと、つかない場合に比べて、意味が狭くなります。
「前記」があるのとないのの例
例えばこの2つの文を比べてみます。(1)は「前記」がない文で、(2)は「前記」がある文です。
(2)私はりんごをもっている。前記りんごをあなたにあげる。
まず(1)について、第一文で「私はりんごをもっている」といっています。第二文「りんごをあなたにあげる。」にでてくる「りんご」は、第一分の「私」がもっているりんごのことを指している場合もあるし、そうでないりんご(例えば、その辺におちているりんご)を指している場合もあります。
これに対して、(2)の第二文「前記りんごをあなたにあげる」の「前記りんご」は、第一文の「私」がもっているそのりんごのことだけを指しています。
「前記」を他の言葉に置き換えるとこんな感じになります。
(2-2)私はりんごをもっている。私がもっているそのりんごをあなたにあげる
つまり、(2)の第二文の「前記りんご」は、(1)の第二文の「りんご」より、意味が狭いということです。
これは単純な例なので、そんなに難しくないと思います。
実際の特許の請求項には、「前記」のほかにも技術を表現する独特の用語が記載されているので、難しそうな感じがしてしまいます。
でも、ひとつひとつの用語の意味を把握していけばちゃんとわかるように記載されているので、じっくり時間をかけて読んでみましょう。
少し余談ですが、技術を表現する用語を集めた用語集を持っておくと便利です。私がおすすめするのが「特許技術用語集―類語索引・使用例付」です。いまは入手困難になっているようで残念ですがチャンスがあればぜひ手に入れてください。
「前記」なしでよんでみてもいい
「前記」の意味がわかったところで、では、請求項をささっと読むにはどうしたらよいか。
厳密さを少し犠牲にするなら、「前記」を完全に無視して読んでみるとよいです。上の例では、「りんご」と「前記りんご」の言葉の広さを説明しましたが、どっちみち「りんご」であると、そのくらいのざっくり感でよいなら、「前記」を完全に無視して読んでみましょう。
それでだいたいの意味がつかめたら、「前記」を意識して読みます。すると、「りんご」が、なんでもよい「りんご」なのではなく、「私がもっているそのりんご」だけに限定されます。
このようにすると、「前記」をあまりおそれずに請求項を読んでいけると思います。
「前記」を使うの、原則、請求項だけ、明細書では使いません(例外あり)
なお、「前記」は、特許の書面のうちの請求項の記載に使います。その理由は、上記の通り、権利範囲を定めるために厳密な記載が必要だからです。
一方、特許の書面には、請求項(特許請求の範囲)のほかに、明細書や要約書といった書面も含まれますが、「明細書」には、原則的には「前記」を使いません(*3)。
明細書の中で「前記」の意味を表現する場合には、「その」、「この」、「上記」、「当該」などの言葉を使います。
ただし、明細書でも、あえて「前記」を使うことがあります。明細書の中に請求項の記載の引き写し(つまりコピー)を入れる箇所があるのですが、ここでは、請求項と同じ厳密さを表現することが有利になることがあるので、「前記」をつけたままにしておきます。この方法を利用して、明細書の中に「前記」が含まれる文章は、請求項のコピーを入れてあるのだな、と判断することもできます。
*3:明細書は、技術の内容をある程度わかりやすい言葉で説明するための書面です。
「前記」の英訳
翻訳者は、特許の請求項の英訳をするときに「前記」をどう英訳するか考えると思います。
私が勤務している事務所では、以前は「前記」を "said" に英訳していましたが、最近は、より平易な "The" に英訳しています。
ただし、微妙な部分で「前記」がそのまま"The"にならないケースがありますので、必ず「前記」を"The"に訳すわけではないという点も注意が必要だと思います。
「前記」を「前期」と書いてしまう誤字脱字がとても多い
ちなみに、「前記」と書くべきところを「前期」と書いてしまう誤字脱字がよくあります。J-PlatPatで検索すれば実際にいっぱいでてきます。
私が使っている誤字脱字チェッカでは、以下のルールを入れておくことで、「前期」を発見できます。
もしよければ使ってみてください。詳しくはこちらの記事を読んでください。
今日のみどころ
「前記」の意味や使い方を知って、特許の文書をばりばり読めるようになりましょう。
特許の文章を読めるようになれば、技術開発や特許の仕事がはかどりますよ!